前号までで、 1. 「剥き焼き」説、2. 「杉焼き」説、3. 「鋤焼き」説、と話したが、今回は 4. 「魚すき」説について述べてみよう。
「魚すき」は関東人には馴染みの薄い料理名だが、関西料理の献立としてはよく見かける。「沖すき」ともいい、数種の魚介類と野菜や豆腐を鉄鍋や土鍋で炊く料理。そもそもは、漁師が獲り立ての獲物を浜で調理して食べたことから始まったといわれ、地方によっては「浜鍋」と呼ぶ所もある。簡単にいえば、寄せ鍋から肉類を省いたものと考えればよい。
この場合の「すき」とは、鍋の中から好みの具を「掬い取る」ところからきており、「うどんすき」などと同じ語源である。魚介類でなく、鶏肉を用いれば「鶏すき」、鴨肉なら「鳥すき」、牛肉では「牛すき」となり、料理法から「牛すき焼き」、または単に「すき焼き」へと変わっていったといわれている。
しかしその料理法は少し異なる。「魚すき」や「うどんすき」は関西風薄口醤油仕立て(寄せ鍋風)であるのに対し、「鶏すき」「鴨すき」「牛すき」は濃い口醤油仕立て(俗にいうすきやき風)が一般的である。
「すき」には、「数寄」とか「寿喜」、ときには「好き」などの字があてられている。多分に語呂合せ的に用いられているのであろう。
最初の「数寄」を広辞苑で調べると、「数」は運命で「寄」、または「奇」は不遇のことと記されており、「数寄」または「数奇」で、不遇な巡り合わせ、不幸せな運命、不運なことなどと縁起でもない説明が出ていた。
中国の「風水」でも奇数は忌みに、婚礼・出産・新年などの祝儀には必ず偶数額を包む慣わしがある。そして別項に風流趣味とも書かれていた。通常では、前者は「すうき」と読み、後者の意味と読み「すき」からこの字をあてたと思われる。
この字を調べたついでに、もう少し先を読んでみると、「数寄者」とある。これは「好き者」にも通じ、1.物好きな人 2.風流人 3.好色家 4.茶の湯をたしなむ人 5.心の奇麗な人、と書かれていた。またその先には「数寄屋造り」の項があり、1.寝殿造りの略式化建築様式 2.茶室造り 3.茶室風建物 4.茶室のある武家屋敷様式 5.日本旅館の原型、などと記されている。
またまた話が外れるが、終戦直後のラジオ番組で銭湯の女湯を空にしたといわれたドラマは、東京の有楽町駅近くの「数寄屋橋」が主たる舞台の一つ。そこで「数寄屋橋」を百科辞典で調べると、「江戸城外濠の京橋数寄屋町への通路」とある(その時代、その辺りは数奇屋風武家屋敷の町だったのだ)。現代風にいうと、有楽町と西銀座の間に架した橋」と出ている。現在では橋はなく、「数寄屋橋ここにありき」との碑だけが残っている。
さて話を戻すが、「数寄」の字を充てたのは、数種の材料を寄せ合わせて炊く料理とか、物好きな風流人が数人寄って食べたのでとかを、鍋物を「掬う」と懸けて用いられたのではないだろうか。
しかしながらスキヤキの呼び名は、先月号で述べた「鯨肉調理法」の中の鋤焼・鍬焼以来途絶えて、明治時代を通じても使われなかった。その時期、特に関東では「牛鍋」と呼ばれていたが、大正期前半の好景気の時代に関東の「おでん」が、関西では「関東炊き」として流行り始めた頃、逆行したのが「スキヤキ」といわれている。
牛鍋の肉は角切りか平切りであったのに対し、すき焼きは薄切り肉を用いていた。剥き肉を用いたゆえ、剥き焼といわれたゆえんである。
以上の説明から、やはり3.の「鋤(または犂)焼」説が一番ふさわしいが、4.や1.の説もかなり有力だといえるだろう。
しかし、残念ながら定かではない。
