牛肉談話 その2 - 食べ物・料理・味の旅 - Dengon Net

牛肉談話 その2

2006-12-05

先月号の神戸ビーフだけが和牛の代名詞ではないということは、ご理解いただけたのでは。

そもそも和牛とは、日本国産の肉牛の総称である。日本産の肉牛といっても完全な純粋種はほとんどなく、大方は外来種との混血により、肉質や体格が改良されてきた。その中で、純粋種としては、北九州玄界灘の沖にある見島の「見島牛」が特筆される。

また、この島自体が牛の形をしていることもおもしろい。当地でも、数年前から「和牛:WAGYU」が出回り始めた。一般のオージービーフがlean meat(赤身肉)であるのに対し、和牛はきれいな霜降り牛肉であるが、小売に限らず業者値段でも相当の高値で、簡単には使えないのが現状だ。

そして、この和牛という名は商品名であって、前述のごとく分類上の名ではない。いうなれば豪州産和風肉といったところだろう。

最近の日本の肉屋の店頭には、「国産牛」と表示された肉も並んでいる。和牛とは別種のものなのか、まぎらわしい。

そもそも牛には肉牛と乳牛がある。その乳牛は、雄がいなければ子牛が生まれないため、種牛としての雄もいる。

しかし、多くの雄の乳牛を成育しても、現在では農耕の仕事もないので、全く無駄になる。そこでこの雄牛の肉質を食用に改良して、市場に出荷した。肉質良化された雄牛は、ホルシタイン種。

この雄牛は、去勢されているので「ホルヌキ牛」と呼ばれた。ホルヌキ牛は肉牛とは異なるが、輸入牛と分けるため、「ホルヌキ牛」ではちょっとということで、「国産牛」と表示することになった。

日本における牛肉や乳製品の歴史を見ると、そもそも牛や馬は食用との考え方はなく、農耕や荷物・人間の運搬などの使役として重要な存在であった。

もちろんミルクを出したが、当時常飲する習慣はなく、衛生的処理もできなかったので、加工品のみが作られた。煮詰めて薬として用いたとの文献もある。

牛乳を精製する過程で得られる五味の一つ、酥(そ)と呼ばれていたのが、今でいうチーズである。五味のうち、もっとも美味とされるものを醍醐味というが、転じて何ともいえない美味(あるいは楽しさなど)を表現するのに、この言葉を使用するようになった。

江戸期は国防策として鎖国をしたため、外国との交流には極端な制約があった。しかし、長崎県平戸の出島にはオランダ商館があり、居住していたオランダ人が、食用に牛を飼育していたと記されている。

仏教の教えである生物殺生戒により、生殺までも制約されたようである。クリスマスなどのご馳走としては、本国から塩漬けの肉を運んだとも記録されている。塩漬け肉はその後も広く利用されている。

鎖国を終焉させる結果となったアメリカ合衆国の黒船来日当時、米国側のペリー提督は幕府の官僚60数名を黒船に招待し、大宴会を催している。官僚たちは、シャンペンの泡立ちや血のような色のワインにたまげ、メインディッシュに出された特大のステーキに驚いたようである。

ペリーは本国から持って来た塩漬け肉を塩抜きと滑り取りのために、一度ボイルしてからステーキとして焼き上げて客に供したと記されている。この牛肉の効果でか、翌年には日米和親条約締結に成功している。

その後、静岡県下田に米国の在日本総領事館が設置され、派遣された初代総領事ハリスは、幕府の出先機関である下田奉行に牛乳と牛肉を要求したが、対応の仕方がわからず断られたと記されている。

明治の文明開化で牛肉が庶民にも大流行したことは、以前に書いたとおりである。