天ぷらの話 その7 - 食べ物・料理・味の旅 - Dengon Net

天ぷらの話 その7

2007-08-31

この天ぷらの話をスタートしたとき、関東と関西の味の違いの話をしようと書いたが、今までのところではあまりその違いが判然としない。せいぜい、始まりは上方(関西)だったが、発展させたのは江戸(関東)で、その一因が江戸前の魚であったというくらいである。

実際には、関東と関西では端的な違いがある。それは天汁で、関西では熱くして供されるが、関東では常温に戻してから用いる。一般に関東人はせっかちなので、熱い天汁では食べにくいともいわれているが、もっと根本的な違いがあるはずだ。

それは使用する揚げ油の違いだ。関西では大豆白絞油が主体なのに対し、関東では胡麻油を主体に揚げる。現在では、原料費の調整や味覚の変移などで、コーンなどのサラダ油と胡麻油を調合することが多いようだが、かつての江戸前風では胡麻油だけで揚げていた。

しかも焙煎方法が現在と異なるので、衣は茶色に近い、かなり濃い色であった。この胡麻油には常温の天汁の方が合い、また、近郊で採れる大根おろしの味を引き立たせるので、天汁は常温が好まれるようになった。

この頃の江戸では、小麦粉の代わりに蕎麦粉を使用し、胡麻油や椿油、茅の実油などで揚げたものを「金ぷら」、上方で流行っていた大豆白絞油で揚げた物を「銀ぷら」と呼んでいた。

揚げ方にも違いがあり、関西では揚げ鍋を平らにして用いるが、関東の多くの店では鍋を少し傾ける。これによって鍋の中に浅い部分と深い部分ができ、浅い部分にネタを入れると附着している衣が横広がりになり、全体の形が大きく見える。前号で述べた浅草流の衣の花を咲かせやすくなるし、かき揚げも揚げやすくなる。

かき揚げは、東京湾近郊の芝海老や馬鹿貝(青柳)の小柱を堪能するのに最良の料理方法とされる。衣と混ぜたネタを浅い部分に投入し、ちょうどいい大きさになるよう重ね入れする。衣は油の中で固まろうとするので、即時に深いほうへ移動し(これを沖へやるという)、そこで裏返す。あまりゆっくりしていると表面が固まり過ぎてサックリと揚がらないので、かなり忙しく行う。関西風平鍋では、精進物かき揚げのように厚さを出さないものの場合はよいが、この工程で厚く揚げる場合にはうまくできない。

江戸前の天ぷらは、このかき揚げが勝負ポイント。関東の天ぷら専門店では、最後にかき揚げが出てくるが、これに昆布茶を混ぜた出し汁をかけ、「天茶」として楽しむ粋人もいる。昔、修行時代に展示会で、「特大五目かき揚げ」(直径50cm、厚さ20cm程)に4人掛りで挑戦したことがあるが、この時の鍋は二尺五寸(直径約75cm)のものであったし、使用した油も一斗(約18リットル)程であった。

時代が移り、明治に入ってから、江戸前天ぷらの代表とされたのは、銀座の「天銀」と新橋の「橋善」で、魚河岸の車海老は「天銀」、穴子は「橋善」が優先選択権を持っていたそうだ。「天丼」は、「橋善」の残り物を利用して、蕎麦屋が「天ぷら蕎麦」を売り出したのにならって考案されたといわれている。

関東流天ぷらが全国的に広まったのは、「すきやき」が関東に入ってきたのと同時期の大正後期、関東大震災後だ。都市が崩壊して職を失った職人が、故郷やほかの地に移って広めたとされている。

さぁ、今までの話を参考に、もう一度天ぷらにトライしてみてほしい。口でいうようには、はたまた頭で考えるようにはいかないかもしれないが、料理は奥が深いからおもしろいのだ。

みなさんがんばって。