前号では鰻について、その種類と共に、かなり古くから食用の習慣があり、その栄養価も知られていたことを記した。
今回は、いつ頃からなぜ “土用の丑の日” に鰻を食べる習慣が根付いたのか、について述べてみよう。
そのいわれは、いくつかある。
①江戸時代の本草学者、蘭学者(医者)、作家、発明家、作家、画家(蘭画家)等々の天才・万能学者である “平賀源内”の逸話。 ある年、夏枯れで売上げの下がった鰻屋の主人の相談に、源内は「本日、土用の丑の日」と紙に書いて手渡した。これを店頭に掲げたところ、鰻はたちどころに売り切れた。喜んだ店主は翌年以降も続行したが、噂を聞きつけた近隣の鰻屋も、これに倣った。それが段々、江戸中、やがて日本中に広まり、定着したといわれている。
②ある大名から、江戸泉橋通りの鰻屋、木屋善兵衛に相当数の蒲焼の注文が来た。その当時は現在のような食糧流通機構がなく、その日の天候や釣り人の加減に左右され、一定量を揃えるのが難しかったので、鰻屋は数日かけて鰻を仕込み、製作日を記して土瓶に入れて貯蔵した。納品の日にそれらを点検してみると、ほとんどが駄目になっていたが、土用の丑の日に仕込んだ鰻だけは痛んでいなかった。そこから、「鰻は土用の丑の日に限る」と言われるようになった。
③狂歌師の蜀山人が、左前の鰻屋の相談に乗り、土用の丑の日に鰻を食べれば、病気にならないという狂歌を作り、宣伝に一役買った。
どれもそれなりに由緒ありそうな話だが、やはり①に一番信憑性があるとされている。
また、以前より、丑の日には “う” の字の付く食べ物を摂ると身体に良いという迷信があり、鰻、瓜、梅干、饂飩(うどん)等が好んで食べられていた。特に夏バテの時季である土用には、滋養満点の鰻が喜ばれたとされる。
余談だが、明治時代に入ると “丑” と “牛” をかけて、この日に牛肉を売り出した業者もあったが、効果の程は今一つだったようだ。
では、土用とは? 元々、土旺用事といっていたのが省略されたもの。古来、世の中の根源の全てが、木火土金水の五つの組み合わせで成り立つという、五行説を季節に割り当てて考えたが、昔から季節は四季で、「木-春、火-夏、金-秋、水-冬」に当てはめると、「土」が余ってしまう。
そこで「土の性質は全ての季節に均等に存在する」とこじつけて、各季節の18~19日の間を指した。始まりを「土用の入り」、終わりを「土用の明け」(次の季節の始まる前日)と呼ぶ。暦には土用の入りのみを記した。現在では、夏の土用だけが用いられている。7月20日頃から立秋(今年は8月8日)の前日迄をいう。
土用波とか土用津波は、この頃の台風の前触れとして昔から警戒され、また、時期的に水母が多く発生するので、海水浴場も遊泳禁止となる。異なる季節の間に「土用」を置くことで、消え行く季節と、まだ成長しきっていない、次の季節の性格を静かに交代させる働きをしている。
丑の日の「丑」が十二支の中の丑であるのは、いうまでもない。各土用の中で丑の日に当たるのが「土用丑の日」だ。土用は18~19日間、暦の日が一回りするのは12日間、それゆえ、丑の日が2回来ることもある。これを「二の丑」といい、この日も鰻の日として売上効果を狙う店もあるが、所詮二番煎じであることはいなめない。
ちなみに今年の土用の丑の日は、7月30日だった。
