前回は鰻の調理法に関して、関東と関西での違いについて述べてみたが、今回からはその食べ方について記してみる。
そもそも、鰻は有史以前より薬用魚として食されていた。中国で古くから言われている“医食同源”である。鰻はビタミンAの含有量が多く、夜盲症にも有効とされている。
その食べ方として、最もポピュラーなのは蒲焼。今風の、割いてから焼く調理法が広まる以前は、鰻を適当な長さに切り、竹や木の先に刺して塩焼にしたり、醤油や味噌であつらえたタレをつけながら焼き上げたりした。その形状が蒲の穂のように見えるので、蒲焼(がまやき)。いつしかそれがなまって“かば焼き”と呼ばれるようになったと言われる。
他に、“新猿楽記”という書に「香速きことより来る」と書かれているところから“かばやき”となったとする説もあるが、信憑性は今一つ。もう一つ別の説は、串をあてて焼くと鰻が紅黒くこげて、ちょうど樺の木の皮と似ていることから来たとされる。これを“筏(いかだ)焼き”と呼んでいたが、やがて“蒲焼”となった。
しかし京都では、この魚は、そう重要視されなかった。「かばやきの匂ひ風流にはあらねど、うまき匂ひとやいわむ」ということで、その香りに食欲がかきたてられても、高級なところは、鰻は扱っていなかったという。
それでは今風の、割いてから焼き上げる蒲焼になったのは、いつ頃からだろうか。文献によると江戸時代初期、京都で始まったと言われている。やがて大阪や江戸へと普及していった。江戸時代の川柳に、「鰻屋の茶漬 隣の鼻で食ひ」とある。
後に、この川柳を元に落語が作られた。隣の鰻屋の蒲焼の匂いをおかずに店の者に飯を食わせていた店主に、鰻屋から「鰻の嗅ぎ代八百文払ってください。そちらは匂いを嗅いで食べた気になっているので、こちらも食べさせた気分になって代金をもらいに来ました」と請求してきた。それに対し、「よし、それでは払ってやろう。ただし、匂いを嗅いだだけなので、支払いも音だけだ」と八百文の音だけを聞かせた、という落ちのつく話である。やはり香りは、それだけでも人を魅了するものがあるのだ。
その頃から関東と関西での調理法に違いがあったようだ。関東は小串に割いた鰻を適当に切り分け、用途に応じたサイズ、量の串に仕上げた。それに比べ関西は、大串に鰻を長いままで焼いて、長さのある蒲焼を客に供したので、長焼きとも呼ばれている。
また、関西では鰻のことを“まむし”とも言う。形状のよく似ている蛇の中で、特に精がつくという蝮からその名がついたとの説もある。しかし江戸・関東でいう鰻丼を鰻御飯とか鰻飯(まんめし)と呼んでいた時期があり、それがつまって“まむし”となったとされる説と、鰻をご飯の上や中に入れてまぶして食べた鰻飯がなまったとされる説、熱いご飯に入れた鰻が熱気で蒸されることから鰻(まん)を蒸すが“まむし”に変化したとする説等がある。
このまむし料理は、関東風の蒸してから焼き上げた蒲焼では、身が潰れたり切れてしまったりするので、関西風の直焼に限る。
名古屋地方の逸品“ひつまぶし”、“ひつまむし”も同じ料理で、最後の数口分に、味と香りの吸い口として、本山葵(本わさび)を添え、煎茶を注いで茶漬けにして仕上げるのが粋の通とされている。
