鰻の話 その8 - 食べ物・料理・味の旅 - Dengon Net

鰻の話 その8

2008-05-30

いやー、ニュラリ・クニャリと鰻だけに、つかみどころのない話も、数えること8回目にもなってしまったので、何とか今回で締めとしよう。

まずは、数十年前のエピソードからお話しよう。家族で近所の川魚料理店へ赴き、人数分の鰻丼を注文した。ところが、店内はさして忙しそうでもないのに、やたらに時間が掛かっている。調理場からはおいしそうな匂いが漂ってくるので、腹の虫を抑えるのに皆苦労している。そろそろ腹の虫が合唱を始めそうな頃、家族の一人が言うには、「きっと川に捕まえに行ったが、うまくいかないのだ。後で、『ごめんなさい。どうしても一人前足りません』と言って来るぞ。そうしたらお前はチビだから我慢しろ」と、兄弟に脅かされた。長い待ち時間の後、それでも人数分出て来た時にはホッとした。

食後に、理由を聞いて納得した。この川魚料理屋さん、当時は天然物しか扱っておらず、しかも注文を受けてから全ての工程(割き・串刺し・素焼き・蒸し・照り上げ)を行うので、時間が掛かってしまったのである。今風の段取りでは、蒸しまでは仕込み時に行い、注文を受けたら焼き上げるだけなので、10分前後で食卓に届く。

その昔の鰻専門店では鰻以外は取り扱わず、他にはせいぜいお新香くらいと相場が決まっていた。鰻屋でせかして食事をするのは、野暮とされていた。

さて、鰻屋での話の続きだが、やっと鰻丼が各自の目の前に並んだ。鰻には薬味として粉山椒が付き物だが、それまで自分は、山椒を使ったことはもちろん、見たり聞いたりしたこともなかった…ということは、そしてそれを「ふりかけ海苔」と思い込み、たっぷりと鰻の上にかけてしまった。周りの家族も唖然としている有様で、取り除いてくれた。粉山椒でも山椒は山椒、「小粒でピリリと辛い」に変わりはない。子供の頃の鰻の思い出は、「うまいが辛いもの」となったのは言うまでもない。

ところで、「鰻丼と鰻重の違いは何か?」。その昔、東京は浅草山谷に重箱の形をした、その名も『重箱』という料亭があった。そこで出した鰻飯の箱詰めを「鰻重」と呼ぶようになり、味や香り、保温の為、塗り物の重箱は重宝がられ、広く使われるようになっていった。

また、浅草田原町の『奴うなぎ』も有名で、江戸の昔から現在に至るまで、その名が本家の屋号「草加屋吉兵衛」より知られるようになり、川柳、狂歌にもよく見られる。その例を紹介すると「奴の首を買ってきて猫にやり」、「病気見舞いに奴の尻をやり」等がある。前句は、鰻の値が安く豊富にあった頃は、頭部は安いものだったから猫にあげたという意。後句は、鰻は頭部より尾側の方が美味で消化にも良いので、病人にはそちらの方が良いと詠んでいる。

余談ながら、重箱の店を詠んだ句もあるので紹介してみよう。店が川魚料理店だったので鯰(なまず)料理を詠んだ、「重箱の隅をついて地震を喰ってゐる」。重箱で食事をし、外に出ると、直ぐ近くに遊興場所「吉原」があったので、「重箱を出てせいろを思いつき」と詠んだ。鰻の蒸籠と花街の青楼を掛けて詠んでいる。

鰻屋さんの壁に掛かっている色紙には、「串刺し三年、割り八年、焼きは十年で成り難し」とある。料理の奥は深い、一生涯果てのない学びの道…。

仕事に、勉強に、はたまた遊びに疲れたあなた、滋養豊富な鰻を食べて、今日も元気に!