前回までは味・味付けを分析しながら話を進めてきたので、今回は味付けの妙について、それにまつわる故事を例に取って続けてみよう。
味加減の妙
「味噌汁は濃い目に、吸い物は薄目に」とよくいう。味噌汁は濃過ぎても出しを入れて加減できるが、濃い目の吸い物は直しにくいので、薄目に作って塩や醤油で加味した方が良いとの教え。味見はおたまに直接口をつけるのではなく、小皿に一度入れそれは捨て、もう一度入れて行うのが、衛生的にもマナー的にも理論的にも良い。小皿に取った時温度が下がると塩味が多少変わるため。 味加減の事を”あんばい”という。各種調味料のなかった昔は、塩と梅酢を用いて調理していたので”えんばい”と言う言葉が生まれ、それがあんばいと変化した。それ故、漢字で書くと”塩梅”。現在では調理用語としてだけではなく、身体状況や気候などの良し悪しにも使われる言葉となった。
味付けの故事
“いにしえの貴人は猫舌で、しかも味音痴である”といわれる。貴人が口にする前に料理は、多くの味見役や毒見役を通過しなくてはならないので、調理したての温かい物は食べられず、本来の料理の味を知る機会もないままの味覚しか育ち得なかった。それを揶揄した好例が落語『目黒の秋刀魚』で、これは後にも先にも焼きたての魚を食べた事のなかった殿様の話。 “信長を辱しめた男”という話もある。信長が三好氏を滅ぼした時、料理の名人として仕えていた坪内某を捕らえた。信長は彼に食事の支度を命じたが、一口食べた途端に顔色を変えて「こんな水臭い物が食えるか」と怒鳴りつけた。坪内は切腹を覚悟でもう一度の機会を願い出た。翌日、再度調理した膳は信長をして、たいそう美味しいと喜ばせ、たくさんの褒美を与えさせた。坪内は「昨日は三好家の味加減、三好家は五代の間、足利幕府に重用された家柄由の第一級品格。今日は下級武士格の田舎風味付けにしたので、こうして誉められた」と言った。若年の頃から戦いに明け暮れた信長の味覚が、余り洗練されていなかった事を暗に示した話である。味には個人差があることの良い例だろう。
「空腹は最良の調味料」という言葉もある。全てが充たされない方が、新たな幸せ感を得られるものである。
夏目漱石は初期の随筆集『草枕』の冒頭で、「山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかく人の世は…」と書いている。味の世界も同じ。智(レシピ)だけで味はできないし、流行に乗りすぎても、また逆らっても自分自身を見失う。頑固に昔からの味や調理システムを守っても、今の人はついて来ない。人の世がむずかしいように、味の世界も十人十色、千差万別、本当にむずかしいと思う。
