前回に引き続き、塩をテーマにして、今回は塩が日本人の生活に欠かせないだけでなく、地理や歴史に意外な関わりを持ってきたことに話を進めていこう。
塩の登場
最近、信州で石器時代の終わり頃(約3千年前)の土器から、塩の成分(塩化ナトリウム)が見つかった。これは、もうその頃から我々の祖先が多分、後の甲州街道に沿って海岸塩を運んでいたという証拠となる。それまでの通説では米作文化が広がった後に塩の輸送が行われ始めたと考えられていたのが、否、それ以前からと書き換えられた。 その後の日本人の生活において、塩はその貴重性を増すばかりでなく神聖さも加わってくる。前号に書いたように、商売繁盛を祈願しての盛り塩、厄払いのために撒く塩、その他の神事に用いられる清めの塩、等々。
塩と大名・そして地名
四面海に囲まれている日本、どこでも簡単に塩が手に入ると思われがちだが、例えば戦国時代の甲斐の武田氏のように領地に海岸を持たない大名は、領地内への塩の調達・確保に苦労したらしい。武田信玄は駿河の今川氏と姻戚関係を保ちながらも、常に今川攻め、即ち駿河進出を頭から外すことはなかったといわれているし、四囲から塩封じされるのを恐れ、塩の採れる山があると辺りに喧伝するために、自国内に「塩山(えんざん)」という地名を作ったりしたといわれている。残念ながら確実な資料はないのだが、この武田氏と抗争していた上杉謙信は甲信地方の塩不足の苦しみを聞いて、敵方に塩を贈ったとの逸話があり、昔の修身の教科書では「あっぱれな武士道精神の振る舞い」として激賞していた。 徳川家康も江戸に入所して最初に、浦安の塩の確保と管理から手掛けた。行徳から運河を拵え、市中の鎧橋へ通させた。これが江戸の塩の道になった。○○塩町と呼ばれる地名がこの時代に各地にできた。江戸市中では塩の取引が行われた四谷塩町があった。
前回のクイズの解答で、皆さんから多くの塩の付く地名が寄せられた。一番多かったのは「塩尻」、次に「塩釜」、全部で9ヶ所だった。 「大日本地名辞書」によると、塩の付く地名は37ヶ所あるそうだ。ところが面白いことに、その中で海岸に位置しているのは塩釜(宮城県)くらいで、他は内陸や山間地にある。塩尻は長野県、塩山は山梨県、塩見峠、塩見坂その他の「塩何とか」は山の中とか山の上に付けられている。これはなぜなのか? 塩をリレー式に運んでいた時の塩の取引所だったというのが通説。塩見峠は、塩魚とか食塩の完全警護をするための監視場所だったのではないかなどと考えられている。 江戸時代に入ってからも、塩の確保は領主の心配の種だった。かの有名な「忠臣蔵」の話も、根底には瀬戸内に位置する浅野家の「赤穂塩」と東海道沿いに領地を持つ吉良家の「三河塩」の、江戸における将軍家御用達権利、及び一般の販売シェアの確保競争があったといわれている。赤穂藩はこの塩を完全統制し専売としたため、取り潰しになった時でも借金がほとんどなかった。塩の統制専売を行った藩は相当数あったらしい。これが現代でも塩が専売となっている歴史的背景である。
