ダシの違いとその疑問点
先月号では、昆布とそのダシについて述べたが、今回はもう一方のカツオ(鰹)節とそのダシについて話してみよう。
〈カツオ(鰹)節〉
まず鰹節の歴史をみると、何と古記事にもそれに近い記述があり、紀州にその端を発するといわれている。鰹節の読みが”勝男武士”の字に当たることから、武家社会では縁起物として出陣式や、凱旋式などの行事に重用され、この風習がやがては一般にも広がり婚礼・出産などの祝儀の引き出物に用いられるようになった。現在我々が用いているような鰹節の生産は、江戸時代になってから、元禄期の少し前といわれている。一番の老舗として有名なN本舗の創業も元禄12年とされている。
鰹節を作るとき、大型のカツオを3枚におろし、さらに中央から縦切にして4本に節取りする。背側の節を雄節(または背節)、腹側の節を雌節(または腹節)といい、これらを総じて本節という。これに対して小型のカツオを3枚におろしたままをカツオ節にしたものを、その形の類似性からカメ節という。 最近でこそあまり見かけなくなったが、かつてはどこの家庭にも削り箱という道具があった。引き出しのついた箱の上側に大工さんが使うカンナの歯がついている箱型のものだ。もちろん各料理店にも常備されていて、若い衆が必要に応じて削り節を作っていた。
個人的な話で大変恐縮ではあるが、この仕事、修行時代には誰もがやらされたことの一つであったが、このカンナの歯は上向きにむき出しになっているので、時々私の指の爪や皮膚の一部も、カツオ節に混入されてダシとされたものだった。
〈当時の江戸の料理事情〉
江戸市中に全国各地から人々(職人や商人衆)が集まり始めた初期の頃は独身者も多く、屋台の食事が中心で、江戸風食文化の味覚がその辺から育っていった。その頃の江戸っ子の粋は新しい物、珍しい物、初物に飛びつくことだった。新物好きの江戸っ子に新しい調味材料カツオ節は大いにもてはやされた。これがいずれ、「女房を質に入れても初鰹」といわれる江戸っ子気質となっていく。
流通の点から見てもカツオ節を関東に運ぶには、関西の他の品と一緒に黒潮経由で廻船させればよかった。その頃に固定化して来た江戸風料理も、現在では残念ながら存続しているものはあまりない。強いていうならアサリを使った「深川めし」、長ネギと鰹の「ねぎま鍋(または汁)」「鯉のうま煮」、大根の「べっこう煮」などが挙げられる。これらを再現したある料理研究家は、その著書の中で、「たしかに味は濃いと思う。しかし濃い味といっても、ただいたずらに強い味にしているのではなく、材料との兼ね合いで濃くしているわけです。諸外国の料理はすべて『油の料理』というのですが、わが国の料理は『水の料理』なんです。しかし、江戸の水は日本料理には適さない水だったのです。だから水の欠点を補うために、カツオ節を使って濃いダシをとり、そのため料理の味も自然に濃くなってきたのではないか・・・・」と記述している。
逆にいえば、カツオ節を使って濃い目のダシをひくしかなかったゆえに、それに見合うだけの調味料を入れざるを得なくなり、昆布とカツオの臭みをごまかすためにも、濃い口の醤油が合っていた。
以上が、関東カツオ節、関西昆布と地域性とは相反する「ダシ」を使用するようになった歴史的背景といえるだろう。
