先月号では本題を大きく外れ、魚(鰹)の話をしてしまった。申し訳ない。
その上追記すると、残念ながら小生もそれ以降、これはという本鰹に出合っていない。くだんの魚屋の御主人に問えども、彼自身が本鰹と歯鰹の差が分らず、いつでも後者を勧められている。ただただ黙して次の機会を待つのみである。
さて今回は話を本題に戻すが、読者の皆様には、関東・関西に於ける味の違いの原因である地域性や歴史性の差はすでにおわかりいただけたと思う。しかし、それ以外にもまだ要因がある。それは歴史的背景から来る生活習慣の差である。
関東の味付けが濃いわけ
今でこそ東京というと日本を代表する都市で文化行政の中心地だが、17世紀初頭に徳川家康が江戸幕府(徳川幕府)を開く以前は、都である京都からは遠く離れた片田舎だった。
勿論それ以前から武蔵(東京・神奈川の一部)、相模(神奈川)、安房(千葉)に限らず、関東一円にも東北地方にも人々は生活していた。
この田舎にいた人々のほとんどは農民で、毎日激しい労働に明け暮れていた。関東武士とか東国の武士団と呼ばれる人達もいたが、彼等も平時は農業に従事していた。即ち、土地に依存し、常に農業労働の中でその身体を研磨し、「いざ鎌倉」というような非常時にも備えていたいわゆる肉体労働者階級の人々であった。
これら肉体を駆使する人々は、どうしても塩分の強い食べ物を好む。この伝統が定着して、関東では濃い味付けとなっていった。前にも述べたように、江戸期の食事事情がこれと重なり、関東風(または江戸風)な味が固まっていったといえるだろう。
関西の味付けが薄いわけ
これに対して、西の文化圏の中心は京と大阪である。ご存知の如く、京は8世紀末頃より長きに渡る都であり、政治文化の中心地であったし、大阪はその地便性を活かした大商業都市であり、またそれぞれが一大消費センターでもあった。
そのような所では激しい労働は少なく、知的階級である公家衆が「雅」の世界の文化をリードし、一般の人々もこれらの人々の生活ぶりに憧れた故に、ごく自然に薄味の料理が主流となった。
以前、京の都に上った織田信長が料理の味が薄いのに激怒したのを見て、京都の人達は「田舎者」と陰で嘲笑したと記したが、このことからも、その時代には既に味の違いがあったと理解できる。
自分にとって一番の味
このように次第に関東と関西にその味の違いが生じて来た訳だが、この二大文化圏の他の地域にも素晴らしい郷土料理はたくさんある。それら全てが我々の愛する祖国(母国)の料理・味である。
中国人も自分達の出身地の料理(広東・北京・上海料理・・・等々)を愛でて、その伝統を世界に誇示している。その他の国々の人々も然りである。
我々も、素晴らしい日本の料理・味・文化を継承し、啓蒙して行こうではないか。関東が良いとか、関西が優れているとかを競い合うのではなく、自分が慣れ親しんだ味が一番。
「お袋の味、ふるさとの味 万歳」。
