
不得意なことから逃げず、自分の特色を活かした生き方をしたい
7月にモダンクラッシックコンサート、8月に広島・長崎平和コンサートなどで日本の現代音楽を高らかに聴かせてくれた夏子さん。
9月には国立美術館での演奏、10月にはフリンジフェスティバルへの出演も控えています。ところが、自宅玄関先にはバイク、部屋には空手着が下がっていて、声楽家とどんな関係があるのか不思議に思ったものでした。
理工学部から音楽部へ
パースでは、高校2年生のときから8年間過ごしました。日本の大学に行く選択肢もあったのですが、せっかく仲良くなれたオーストラリアの友人と離れたくなく、オーストラリアに残りました。
日本で歌(クラッシック)を習ったこともありますが、まさか音楽を選ぶとは思っていませんでした。オーストラリアにきてから、クラッシック音楽がぐっと身近になり、親しみを持つようになりました。
でも大学入学時に選んだのは、「数学が得意だったし、まだ英語に自信がなかった」ので理工学部。入ってみると自分にはむいていないのがわかり、移籍を決意。楽理を半年ほど独学し、レッスンを受けて準備。
音楽部オーディションを受けて合格できたので、親に内緒で学部を2年生のときに替わってしまいました。
学士の途中、音楽の歴史の先生に薦められ、メルボルン大学に移り、大学院にも進みました。卒業時、やっと音楽選択を親に認めてもらえ、オランダに現代音楽の修士取得のために留学しました。
オランダ留学中、オーストラリア永住権が取れたので、文化活動が盛んなメルボルンに今年戻ってきました。
現在はカソリックの女子校で歌の先生をしています。生徒のほとんどはポップスを歌いたがります。私もカラオケが大好きでしたから、その気持ちはよくわかります。歌うことが楽しくなければ意味がありません。
クラッシックを押し付けず、歌の基本と発生練習を中心に、スタイルの違いを思考錯誤しながら、生徒の興味のある分野を伸ばしてあげようとしています。
「難しいこと」、だからやる
ヨーロッパにいる間に様々な国でコンサートをしました。その国の言語で歌うことは、ある意味挑戦でした。
ドイツ語は子音の発音が大変。オーストリアは発音にこだわる先生が多い。イタリア人は、発音よりも先に心を込めて歌うと涙を流して聞いてくれる。場所によって求められるものも違います。
学校を首席で出ても仕事が入ってくるわけではありません。生活は厳しいし、親に心配はかけるし、つらいことをなぜ続けているのだろうと思うこともあります。
これまで培ってきたことを見せて、その人が元気になったり、楽しんだりしてくれれば、それは私にしかできない特別なことかなと。やめるのは簡単ですが、続けていきたいと思っています。 空手を始めたきっかけは、理工学部在学中にシェアメイトに「体が柔らかいから空手の蹴りができる」と言われたこと。

実は、それまで運動会はいつもビリで体育の成績は常に最低。けれど、不得意なことから逃げているといつか自分に戻ってくると悟り、あきらめずに続けて今に至ります。
オランダ代表として出場したヨーロッパ空手選手権では、型で4位になりました。日本人として外国で空手をすることは自分のアイディンティティ確立に大事な役割を果たしています。
音楽は競争社会で孤独になりがち。空手の精神はそんな孤独との戦いを打ち破るという意味で役に立っています。空手で汗を流した仲間が世界中にいるのは、とても大事なことです。
歌いたい心と技術が必要
譜面を読み、ほぼ毎日歌う練習をしています。一番苦労するのは、いい声を出すときに必要な脱力と体の力加減です。
アジア人は母音を切って舌根に力を入れて話がちなので、歌うときにそのまま発語すると響かないし、話し方から息の仕方まで見直すのは、性格を変えるのと同じといってもいいくらい大変です。
歌うときには、空手のときに力を入れる筋肉を緩めたり、その切り替えの技術が必要となってきます。
メルボルンの大学院で日本芸術歌曲を研究したことがきっかけとなり、邦楽的要素を取り入れた歌曲や日本の現代歌曲の普及に努力しています。
日本歌曲は瀧廉太郎の「荒城の月」が始まりとされていますが、その後ドイツリートを意識して書かれた歌、たとえば山田耕作と北原白秋や野口雨情などの詩人らが生んだ作品、歌舞伎や能などの音楽を取り入れた歌曲、アイヌの文化や沖縄民謡などを織り交ぜた曲など、日本でも知られていない名曲が数多くあります。
日本独自の音楽を後世に伝えることもライフワークとしてやっていきたいですし、ライブでしか味わえないコンサートのよさを追及する演奏を開拓していきたいと思っています。
コンサートのときは、クラッシックだからと構えずに、気軽に音を楽しみにきてください。

