プロフィール: 国立音楽大学楽理科卒業 、武蔵野音楽大学大学院音楽学修了。近世邦楽及び舞踊を研究し、在学中より日本舞踊を五條流家元五條詠昇師、長唄三味線を杵屋勝芳寿師に師事する。卒業後は故・武智鉄二師の「歌舞伎塾」、花柳芳次郎師の「舞踊塾」に学ぶ。日本舞踊協会公演、創作舞踊劇場、五條流珠実会などに出演。自身の舞踊会「雅之助の會」、門下の「紅雅会」を主宰、国立劇場等で、古典から創作まで幅広く作品を発表。 海外では、パリ、ロンドン、ローマ、デュッセルドルフにてワークショップ、公演を行う。1991年より東京芸術大学にて非常勤講師として実技、講義などの指導も。現在は日本舞踊協会参与、五條流理事。 主な創作作品「ニジンスキー頌」「妖魔伝説」「焦土の祀り」「朧夜の館」「たまみざくら」など。
400年にわたって培われてきた伝統を背負っているからこそ、新しい挑戦ができる
―子供の頃は?
上山田という信州の小さな温泉町に生まれました。大正時代に開湯したこの町で祖母が髪結いとして美容院を開いていました。小学校から帰ってくると、お座敷を控えた芸者さんたちで店はいっぱい。待合室にはお座敷に持ってゆく鮮やかな紫色の長袋に入った三味線、小道具の入った錦の入れ物、きれいな扇子…。思わず触れてみたくなる不思議な魅力をはなっていましたが、子供が触るときつく叱られたことを覚えています。 実は小学校にあがる前、母の影響もあって2年間踊りは習ったことがありました。決して嫌いではなかったものの、どこか照れくさくて自分からやめてしまった日本舞踊、再びめぐり合ったのは大学生になってからでした。
-なぜ、また日本舞踊を?
洋楽一辺倒の学生生活を送っていましたが、耳の奥底には三味線と鳴物、目には芸者衆の艶やかな着物姿という江戸の名残をかすかに肌にまとっていました。あるとき見に行った歌舞伎はそんな私の原体験を強烈に掘り起こしました。「三つ子の魂百まで」の言葉どおり、あっという間に虜となり、180度の転換、さっそく長唄三味線のお稽古を始めました。歌舞伎座で初めて観た「勧進帳」、あの時の長唄の迫力は今でも忘れられません。それまで耳になれたオーケストラとはまったく違うものですが、本能を揺さぶる興奮、鳥肌が立つというのはああいうことをいうのだと思います。それからは、学割、最上階の立ち見席をフルに活用、暇があれば歌舞伎に通いました。 卒論のテーマを近世邦楽に決めた途端、江戸の音楽は舞踊抜きでは語れないと感じました。あくまで研究の一環という前提で家元のもとに弟子入りをしました。それがいつの間にか長唄よりも踊りのほうにウェイトが傾き、ついには1979年五條雅之助としての初舞台を踏むに至りました。 音楽での限界を感じたのも確かです。ピアノも三味線も座った位置で演奏しますよね。「もっと体で表現したい」という思いが募ったのです。
小さい頃からずっとお稽古を続けている方々がほとんどのこの世界では、私は見事なスロースターター。おかげでデビュー以来、苦労の連続。人の何倍も努力しないと追いついていけませんでした。そんな努力を認めていただき、たくさんの先輩方がいらっしゃる中、五條流の次期継承者と認められました。後継の指名を受けたことは身に余る光栄です。
-体力勝負ですね
女形などは見かけはなよなよして見えるかもしれません(笑)。でも重い鬘や衣装をつけて舞台で踊り続けるというのは、本当に骨の折れる男の仕事なのですよ。普段もマンツーマンでお弟子さんに一日中教えているので、手を抜くことができません。だから健康には人一倍気を使っています。
-別ジャンルの方とも共演が多いですね
それを珍しいことと思われるかもしれませんが、お能や狂言は中世の芸能、歌舞伎や日本舞踊は近世のものです。これらは新しいものと出会って変化していくもの。市川猿之助さんや坂東玉三郎さんがされていることも、そういう意味があります。 西洋音楽もオープンマインドなところがありますが、歌舞伎も日本舞踊もまったく同じ。古典と創作はいわば車の両輪のようなものです。ただ、ピアノのエチュードを毎日弾くように、伝統芸能も基本のテクニックを徹底して体に染み込ませなければなりません。それがあるからこそ新しいことに挑戦できますし、どんな状況になっても驚かずにいられるのです。ワークショップで英語が片言でも、体が「武器」になり気持ちが通じます。 ご存知のように、日本舞踊は歌舞伎の舞踊の部分を抽出した分野です。私は振り付けも演出もやり、ダンサーでもあるわけです。そして個人として弟子に教えていますし、大学でも教鞭をとっています。新しい表現を求めて、現代の演劇、マルチメディアを常に意識しています。だから他のジャンルの方とのとのコラボレーションは、私の舞踊生活にとって、欠くことのできない大切な勉強の場なのです。
-最近では外国公演もされていますね
歌舞伎のようにせりふがあるわけではないので、大まかなストーリは、あらかじめ現地の言語でおしらせしておきます。場合によっては、シーンごとにテロップを出すようにしてくれるところもあります。 不思議なのは、外国だから細かい機微はわからないだろうと思って何か細工するよりも、日本と同じ気持ちで同じように演じるほうが伝わるのですよ。下手に外国人向けにアレンジしないほうがいいくらい。これは400年にわたって培われた伝統は伝わる、という証明だと思います。
-メルボルンアートフェスティバルでの見所は?
「サンダカン・スレノジー」は、今年の6月にシンガポールでも公演し好評でした。第2次大戦の末期、日本軍がマレーシアのサンダカンで約2,600人の英国人やオーストラリア人の捕虜をもっていたときの話です。日本軍側の戦況が厳しくなり、ジャングル奥地へ移動する際、日本軍も含めほとんどの捕虜たちの尊い命が失われてしまいました。今回の作品は戦争の悲劇を単に批判するというだけでなく、風化してしまう歴史的事実を捉えなおす、という気持ちで見ていただきたい舞台です。
私は大きく3つに変化します。一つは老女。老いの悲しみ、過去の悲惨な出来事への悔やみを表現します。2つ目は若い女。恋人との出会いと別れ、死別、赤子をも失う悲しみ。これは狂ってしまいそうなくらいの悲しみ。そして最後はヘロンという白い鳥になります。すべての悲しみを昇華させて、将来への希望を見出していく。これを舞踊で表現します。 ふりやコスチュームの変化は歌舞伎的でわかりやすいのですが、古典的な技法で踊ります。どれだけ体で感情を表現できるかに挑戦します。楽しみにしていてください。
五條雅之助さんのウェブサイトもご覧ください →http://www.gojo-ryu.com

