メルボルンに着任して半年、オーストラリア生活をエンジョイしつつ、仕事には明確さ、分かりやすさを追求する原口氏に伺いました。
「Yes」「No」をはっきり言える、わかりやすい日本人でありたい
―ヤマハミュージックオーストラリアについて
お陰さまで、こちらでは「ヤマハ」の知名度は非常に高いのですが、これは兄弟会社である「ヤマハ発動機」によるところが大きく、楽器のイメージは若干薄いようです。 私たちは、お客様それぞれのニーズやライフスタイルに合わせて「自分の音楽」を楽しんでいただけるように、楽器やオーディオ機器など様々な商品やサービスを提供しています。
なかでも、電子楽器や音響機器の需要は将来大きく伸びて行くと考えております。 電子楽器は、練習を楽しく、簡単に続けるための演奏補助機能や音を消して練習できる機能など、生の楽器にはない楽しい機能が満載されています。インターネットに繋いで遠隔地の先生の指導を受けることも可能になるなど、無限の可能性と発展性があります。
音響機器は、コンサートホールやレコーディングスタジオなどの業務用の需要だけでなく、個人で本格的な音源づくりやCD制作をしたり、自宅に映画館を作ってしまう「ホームシアター」など、個人で楽しむ需要も増えており、将来的に需要が大きく伸びる可能性を秘めています。 地元への貢献
音楽は生活を豊かにするものだと思います。そして、その楽しみ方は様々です。
一人でも、仲間とでも、知らない者同士でも、聞くだけでも、声に出して歌っても、楽器を演奏しても楽しめます。 多様な楽しみ方ができるところが、音楽の素晴らしさですが、このような音楽の楽しさを一人でも多くの人に味わっていただきたいと考え、オーストラリアでもヤマハ音楽教室を展開しております。 また、実際に音楽を楽しんでいる方達の励みとなることを意図して、ユース・ピアノコンクールを主催したり、多くの音楽家や音楽関連施設に楽器の貸し出しも実施しております。 メルボルン・ジャパンフェスティバルでは、「和の輪音頭」公募の賞品として楽器を提供させていただきました。
―ヤマハ入社の動機は?
やはり、「音楽が好きだった」からでしょうか。高校時代は当時流行のロックバンドに浸りながら過ごし、大学時代は一転してカントリー音楽の一つのジャンルである「ブルーグラス」にはまり、バンドではフィドル(バイオリン)を担当していました。
もちろん「ヤマハ」というブランドネームは知っていましたが、正直、学生の時はどの会社が自分に合っているかなど、よく分かりませんでした。ヤマハは本社が浜松にあるせいか、ゆったりとしており、好きなことを自由にやらせて貰えそうな気がして入社しました。決して、昼飯に鰻を出してくれたからではありません(笑)。もっとも入社後には、考えが甘かったことを思い知らされましたが…。
ともあれ、若い頃から、かなり好き勝手に仕 事をさせて貰うことができ、会社には大変感謝しております。
―仕事上心掛けていること
部屋のドアはいつも開けっ放しで、文字どおりオープンで風通しのよいオフィスにし、コミュニケーションのとりやすさを目指しています。日本人が外国人と仕事をしていく上で大切なことは、考え方やコンセプトを明確に伝えることだと思いますが、そのためには、プレゼンテーション・スキルとリーダーシップの発揮が不可欠だと感じています。ビジョンやダイレクションを明確にして、可能な限り情報公開をしていきたいと考えています。
―ご家族との過ごし方は?
息子二人は東京で大学に通っているので、夫婦二人の生活を楽しんでいます。メルボルンにはゴルフ場がたくさんあるので、「こちらにいる間に満喫しよう」と日焼けに気をつけながら、夫婦でいろんなコースにチャレンジしています。ゴルフクラブはもちろん二人とも「ヤマハ」です(笑)。
とっておきの「指令書」を見せて戴きました。ビジョンやダイレクションを明確に伝えるための仕掛けだとのこと。
古めかしい小さな木箱を開けると、巻物上のマネージャー宛の指令書が入っています。紙は黄色く、所々焦がしてあって古文書風に作ってあります。最後のページには、海賊のキャプテンに扮したご自分の写真まで載せある凝ったつくりで、恐れ入りました。
原口昌之(はらぐち まさゆき) 1953年 生まれ。 長崎県佐世保出身。 1976年 日本楽器(旧社名)入社。 1990~97年 北米現地法人に出向。ロサンゼルス勤務。 2002~04年 本社にて電子音楽の営業担当。 2004年 8月に現地法人社長としてオーストラリアに赴任。

